コラム記事「本法人設立にあたっての理念」(2/2)
その後、私は、経営学研究に主軸をおきながら、経営学以外の学会・研究会に参加し、経営学分野の学会が、一際厳しい批判が多いことを痛感しました。たとえば、同僚の先生のご好意で参加させていただいている東京商事法研究会では、研究会でありながら、経営学の小さい学会よりも多いくらいの人数が集まり、非常に熱のこもった議論が展開されます。私が感動したのは、どんなに白熱した議論であっても、報告者の研究をよりよくするための激論が交わされていることです。そして、研究会でブラッシュアップされた研究が、学会や雑誌などで公表されています。
それまで、経営学の所属学会で、学生や若手が否定だけされて終わっていく報告を数多く見てきた私には衝撃的な体験でした。このような前向きな議論が真に研究を前進させるものであるにもかかわらず、私の周辺の経営学分野にはそうした団体が多くくないのだと気づいたのです。
ミルグラムの権威への服従実験というとても有名な実験があります。この実験は、正しい権威からの命令であれば、その命令を受けたものは自らの倫理に反し、心底やりたくないと思っていることであっても、遂行してしまうということを明らかにしました。これは、閉鎖的な空間の中では、自らの主体的な意思ではなく、外的な要因に意思決定が左右されることを明らかにしました。つまり、私が言いたいのは、研究者を目指す者は、閉鎖的な環境のなかで、一定の理不尽な振る舞いに気付けない、もしくは気づいても声を上げられない状況が存在するということである。これは、私の見てきた経営学分野における研究者文化は明確に言えることであった。
もちろん、経営学分野にもそうした前向きな議論を基礎とした研究会もあるでしょう。また、私は全ての研究者がどのような境遇に置かれているのかを把握しているわけではありません。経営学の環境が著しく悪いというエビデンスがあるわけではありません。そして、経営学研究の関係者全体がひどい環境であると言っている訳でもありません。私も多くの素晴らしい先生方に支えられ、幸運にも研究を生業にすることをできました。それらの先生方に対する感謝の念は今も忘れたことはありません。先生方のアドバイスは今も胸のなかで私の行動の羅針盤となっています。
しかし、たしかに若手研究者や研究者のたまごとして、厳しい状況に置かれている者はいるのです。よい研究をしていても、潰されそうになっている者がいるのです。若手が命をかけている研究を潰そうとする研究者にも、潰されそうになっている研究者にも、他者への優しさを必要とする世界全体の持続可能性を突き詰めることなんてできるはずがありません。私は、若手の研究が潰されることなく披露され、フロアからその研究をよりよくするためのアイディアが友好的に交わされる、そういう研究機関に本法人が成長してほしいと願っています。そのためにも、多様な視点で研究がなされ、多くの学問を基礎とした研究がなされ、そして持続可能な社会の実現に向けて新しい議論を交わし、それを実践できる場を提供していきたいのです。